あやめについて
※本当はNEVERLAND感想の第二弾の中の内容のひとつとして書いたのですが、長くなりすぎるのとほかの内容とテイストが違うので別記事にしました。自分のために書いた部分が大半なので、こっそりアップします。
シゲのあやめの素晴らしさはシゲ担さんたちが語りつくしているので、増田担の私が語れることは何もないと思っていたのだけど。
私の言葉でどれだけ伝わるかわからないけど書きます。自分のために。
シゲのあやめ。
本当に素晴らしかった。
曲の完成度もさることながら、ステージ上でのあやめは息をのむほどの迫力と美しさでした。
「自分の芸術観をすべてぶつけた。」
「毎回命がけでやってる。」
シゲの言葉からも、並々ならぬ覚悟がうかがえました。
このステージに命を燃やし、全力で歌い演じるさまは怖いくらいに美しかった。
あまりに素晴らしかったからこそ、MCで3人がシゲのあやめをいじったことが許せなかった人がいるのも、わかる気がします。
でも私はあのとき、あのMCでお腹が痛くなるくらい笑って、NEWSが好きで幸せでいっぱいでした。
本当に楽しくて幸せな時間だったからこそ、それが許せなくてすべてを踏みにじられた気持ちになっていた方がいたことを後から知ってとてもとてもショックでした。
ただ私も思い返してみると、あやめいじりが始まったときに「これ、シゲ担さんはどう思うんだろう」とちょっと頭をかすめたんですよね。
あやめに対する思い入れの強いシゲ担さんがたくさんいることはわかってましたから。
でもそれがすぐに頭から消えて心から笑えることができたのは、何よりもシゲがそのいじりに、キレ芸で返してたからなんです。
いじりって愛があるかどうかがよく問題にされるけど、(もちろんそれが大前提として)、いじられる側に笑いの技術があるかどうかが大事なんです。
その技術がないとただのかわいそうな人になってしまって全然笑えなくなります。
だからシゲが3人のいじりにキレ芸というツッコミで返してたってことは、あそこにいた5万5千人を笑わせるために、そのいじりにのっかったってことです。
怒ったり悲しんだりせず、シゲがあの場を盛り上げるためにいじりに全力でキレていたから、私は心から笑えることができたんです。
あれだけ大勢の人が笑って盛り上がったあのMCは、シゲのツッコミがなければ成立しなかった。
見事でした。なんたってキレ芸だもん。
芸ついちゃってるもん。立派なお笑いの技術です。
芸人さんのなかでもうまくいじってもらえないことに悩んでる人、意外と多いんです。
そんななかであれだけの笑いをとれるアイドルすげーー!って思います。
5万5千人を笑わせるなんて、一流のお笑い芸人だって難しいです。
それをやったんだから!すごいことだよ!
あと、これは私が思ってるだけかもしれないですが。
あやめでシゲが伝えたかったのは「多様性と愛」、それを象徴するのが植物のあやめと虹。
愛があふれる世界を思い描いたってクラウドで書いてましたね。
シゲ自身はあやめに対する想いも強いだろうし、ステージにも自分の想いを全力でぶつけていたけど。
でも、もしかしたらそれを受け取る側は、どんな受け取り方をしてもいいと思ってたんじゃないかな。
シゲが伝えたかった「多様性」ということをずっと考えていて、それって人種とかジェンダーとかもだし、いろんな人がいていろんな考え方があるということもだと思うんだけど。
シゲのあやめが、あまりに芸術的で素晴らしすぎたから、観ている人に神聖視されすぎてしまうことを恐れた…って、考えすぎかな?!
芸術的、絶対的な存在になってしまって、神様から与えられたものをただありがたく受け取るようにあやめを受け取るだけでなく、もっとラフに観て、自分で感じたり考えたりして欲しかったのかな、と思って。
まさかシゲが自分からいじってくれと言ったとは思わないけど、MCでいじられることで、あやめが不可侵の神聖な存在ではなく、いろんな受け取り方してくれていいんだよ、それが多様性ということだよ、というメッセージではないかな、と。
考えすぎかな?!考えすぎかもね。
でも私はそんなふうに考えて自分を納得させました。
そうしてあの日笑った自分を肯定しています。
もちろん、許せないと感じた人たちがいたことも。
同じものを観て、聴いても、感じ方は人それぞれ。
それが多様性だし、違う考え方、感じ方も認め合うことが愛なんだろうな、と思っています。
追記:KちゃんNEWSでMCのあやめの話題が出ましたね。
まっすーがやりたいって言って、慶ちゃんがいいね!って舞監さんにかけあったとか。
スタッフさんに協力してもらって、Jrも楽屋から駆けつけてくれて、みんなで作ったあやめは、やっぱり愛がいっぱいで素敵なあやめだったな、と思います。