Everything's beautiful

辺境の地で愛を叫ぶ

今思ってること。だけどやっぱり全部じゃない

ここに書くことは今の時点でのわたしの感情とまとまりのない思考であって、ほかの誰かの考えや思いを否定するものではないことをご理解ください。

突拍子もない思いかもしれなくて、受け入れられなくてもそれが普通だとも思ってます。

 

 

今なんとコメントしていいのか、そもそもコメントするべきなのかしない方がいいのかもわからないけど。

増田くんのことが大好きです。傷ついてほしくないし絶対幸せでいてほしい。そのためだったらなんだってしたい。

増田くんはわたしにとってかけがえのない大切な人だし守りたくて、でもそういう、増田くんを好きな自分の気持ちと、この社会に生きている一員としての責任が矛盾してしまうなら、わたしはどうしたらいいんだろうということをずっと考えています。こうして増田くんが読むであろうことをわかった上で、伝わる可能性が高いこの場所を使ってコメントすることが正解なのかどうか、さらに心の負担を増やしてしまうだけではないのか、自分自身の中での結論が出ないまま書いてしまっていること本当にごめんなさい。

増田くんはわたしにとって本当にすごい人だし尊敬しかありません。でもそれは増田くんのことを神様のように崇めているわけではなく、増田くんがたぶん自身の至らないところをちゃんと自覚し、自戒したうえで、アイドルとして完璧であろうとしてくれるからだと思っています。どんなに優れた人であっても完璧な人なんていないし、完璧じゃないからこそ、そうあろうとすることが尊いんだと思ってます。とても人間ぽくて、そういう増田くんのことが愛おしいです。わたし自身葛藤だらけだし至らないところだらけで、でも増田くんを好きでいるおかげでいろんな感情を教えてもらい、いろんなことを思い、そのおかげで人として成熟させてもらってきたと思ってます。

増田くんには自分の気持ちを1番大切にして守ってほしい。もしファンにできることがあるなら、その責任の一端を担わせてほしいとも思っています。そんなこと増田くんが望むことはないと知っていても、そう思っていることを伝えさせてください。

まとまりがないままでごめんなさい。これからもずっとずっと大好きです。

 

 

 

4日前、報道はあったけどまだ増田貴久の〇〇で謝罪文が出る前の、増田さんのインスタへのわたしのコメント。

この時も書いてるけど今でもこれを書いたことが正解かどうかわからない。

コメント全部読んでるとは言ってたけどこういう状況でも読んでるかはわからないしそもそも投稿ゼロ、フォロワーゼロのアカウントからのコメントが増田さんの目に触れるところに表示されるのか?されてないんじゃないかと思いながらこれまでも毎回の投稿に必ずコメントするようにはしていた。

単に数字としてコメント1が増えればそれでよかった。

この時も増田さんにだけは伝わってほしいのか、それとも読んでほしくないのかもわからないまま、ただ衝動で書いたコメントに今回、ほんのわずかだけど数人からいいねがついていて怖くなった。

ここで書いてることは全部本当に思ったことではあるけど、でもわたしが思ってることのほんの一部でしかないこともたしかで、それが増田さん以外の誰かの目に触れてその感情に何らか影響してしまうことが怖かった。

そもそもSNSは自分の思いを表現する場であると思っていて、それなら自分のアカウントですればよかったものを、増田さんのインスタへのコメントを自分の表現の場として使ってしまったことへの罪悪感もあった。

今でも怖い。でも消せない。

どうしたらいいのか。

ぐるぐるぐるぐる。

ぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

わたし自身が誰の意見も感情も自分の中に入れたくなくて、そして何か自分の思ってることを発信してそれが誰かにわずかでも影響してしまうことも嫌でXからも離れてた。

できるだけ事実を自分で集め、本人や公式からの発信だけを元にして、誰かの感情に左右されることなく自分の気持ちだけを見つめたかった。

 

昨日、少しだけ戻って一部の人のツイートを見てみたけれど、どれもすごくわかるし、でもどれも一部でしかなかった。

それだけではぜんぜんたりなかった。全部が本当にその通りだし、でもそういういろんな意見もいろんな気持ちも他の人のそれを全部集めたとしても、自分の思考も感情もそれだけでは補完されなくて、それは自分自身で見つけていくしかないことだと痛感した。

苦しいけど、それはこの問題に限らず自分にずっと問うていたことでもあって。

ツイート(ポスト)は自分の思っていることの表現であるのに、自分が思ったり考えていることのほんの一部しか表現できていないこと、そしてその思考のうちの何を言葉として残すのかの取捨選択がわたしはめちゃくちゃ下手で、いつも悩んでるし、その下手な取捨選択の末のツイートに何の意味があるんだろうということをもうずっとずっと考えていた。

 

今回は自分の思いをできるだけ全部書こうと思っている。

取捨選択しないので文章としては破綻してるかもしれないけど。

 

 

 

 

 

増田さんの謝罪文を見てめちゃくちゃになってしまった。頭かきむしりながらのたうちまわった。

謝罪してほしくなかったとか増田さんは何も悪くないなんてことは微塵も思わない。

ただただそこにある現実が受け止められなかった。

こんな日が来ることをまるで想像していなかった。

たとえば、もしいつかNEWSが解散したりだとか、増田さんに熱愛とか結婚とかそういうことがあったとしても、増田さんが自身の言動のことで謝罪する未来があるなんてことは思いもしなかった。しかも大好きな、大切なコンサートという場でのことで。

それだけ増田貴久という人を、人として信頼していた。

年齢的には増田さんよりもずっと上だけどいつまでも人としてたりないところだらけの自分、未熟すぎる自分にとって、増田さんの仕事への向き合い方や真摯で誠実な生き方、アイドルとして生きるうえでの自分の律し方、周りにいるたくさんの方への感謝や愛を忘れないところ、それを素直な言葉でいつも伝え続けてくれるところ。

すべてが模範だった。

人生でここまですごい人に会ったことがないというくらいに。

だからその増田さんが、自身の言動において謝罪しなければならないような事態になることは夢にも思ってなかった。

増田さんの謝罪文をいくら読んでも頭に入ってこなくて、夢を見てるようにしか思えなかった。もちろん悪夢。

痛くて痛くてたまらなくて、でもすでに書いたけど謝罪してほしくなかったわけではぜんぜんなくて、むしろ絶対に必要であったこともわかってて、でもなんでこうなってしまったんだろうということが本当にわからなかった。

何がいけなかったのかなんて、どこから遡ったって辿り着くことはきっとできない。

たぶんこの今わたしたちが生きている社会の成り立ちからその要素の一部は始まっていたんだとも思う。

そして増田さんよりも少しだけ長く生きている者として、そういう社会を作ってきてしまった自分にも責任があるんだということも思った。

 

ただし、そういう責任が自分にもあると思うことで、自分の気持ちを救いたいという思いもわたしの中にあるのかもしれなくて。

増田さんだけが悪いと思うことがあまりにもいたくて苦しいから、自分にもその責任を負わせてほしいと願っているんだとしたら。それがいいことだとはとても思えなくて。

でもだからと言ってどうしたらいいのかもわからない。

ぐるぐるぐるぐる。

ぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

 

 

結局ちょっとだけ見えたことは、自分はあまりにも未熟だったなということ。

これまでもわかっていたはずだけど(だからコメントにも書いたんだけど)増田さんを好きになりNEWSのファンになったことでいろんなことを経験させてもらい、いろんなことを思い、それが自分を人として成熟させてもらってきたと思っていた。

けれどそもそも以前の自分が未熟すぎた、だからこの数年で少しだけ内面が成長したんだとしても、それではまだぜんぜん人としてたりなかった。

未熟ゆえに、増田さんが大好きだという思いを自分の中で大切にしすぎていたんだと思う。

だからそもそものこの事務所に関わる問題に直面した時に、何よりも大好きな増田さんとNEWSを守りたいと思ってしまった。

傷ついてほしくなかったし、その愛も感謝も思いも誇りもアイデンティティも、増田さんがこれまで大切にしてきたものはすべて守られてほしかった。

性被害に遭われた方のことよりも、増田さんを守りたいという気持ちを自分の中で優先してしまっていた。

もちろん被害に遭われた方の苦しみや怒りにまったく無関心だったわけではない。

すみやかに補償がおこなわれることはわたしにとっても最大の望みだったし、そしてそれが行われたとしても心の傷はこのあともきっと生涯にわたって残るであろうこと、それだけ性被害ということは深く暗く人生に影を落とすであろうことは想像に難くなくて、でもどうか今後の人生が少しでも心穏やかに過ごせるものでありますようにと、、、

 

こうして言葉にしてみるとなんておこがましい感情だろうか。

結局わたしは被害に遭われた方の苦しみを自分ごととしてまったくとらえていなかった。

もっともっと痛くなるべきだった。増田さんの心の傷に思いを馳せるよりもっと前に、もっと最大限に被害者の方たちのことを思うべきだった。

それはこの問題に限ったことではなく、これまで生きてきた中で、たくさんの事件や事故や災害の報道に接していながら、その時は胸を痛めたとしても、それをもっともっと自分ごととして捉え、何か自分にできることはないのかと考えたりもっと自分ごととして苦しんだりしてこなかった。この世の中で苦しむ人がひとりでも減るために、ほんのわずかであったとしても自分にできることを考えて、たとえ具体的な行動まではできなかったとしても、もっと自分に置き換え自分の痛みとしてそれを受け入れて考えるべきだった。

聖人君子ではないのだからそんなことできるわけないとはなから決めつけていた。

できるわけなくても、やるべきだったんだと思う。

それをしてこなかったツケが、今のこの社会の問題になり、最愛の自担を傷つけ、自分も苦しむことになっているのではないかと。今はそんなふうに思っている。

知らない土地の知らない方の苦しみまでも全部受け止めることはできなくても、せめてこの問題がつまびらかになった時に、被害に遭われた方の苦しみをもっと自分ごととして受け止めなければいけなかったんだということ。

それがどれだけ苦しくても、たぶん今よりはマシだった。

それで何も変わらなかったとしても。

もっともっと人として強くいなければならなかった。

わたしは自分の弱さに甘えていたんだと思う。

それを痛感したからこそこんなにも今痛い。

 

 

 

 

NEWSがツアーでファンにかけてくれた言葉、俺たちは何も変わらないから!これからもNEWSは続いていくから!安心してついてきてね!という言葉に、どれだけ救われたかわからない。

それはアイドルとしてステージに立つ彼らが、応援したい、支えたいという思いを持ってコンサートに来てくれる観客に向かっていう言葉としてこれ以上ないものだったと思う。

みずからのアイデンティティや、これまで立っていた場所を土台から覆されるような思いの中でこの言葉を言えるのは、彼らが培ってきたものがたしかなものであり、人として成熟してきた証でもあると心から思っている。

だからファンもつらい思いをしていることを理解してくれて、その心に寄り添ってくれることに甘えてしまっていた。

その言葉に心を救われ支えてもらってしまった自分はあまりにも未熟だったと思う。

ファンである前に、もっともっと人として強くあるべきだった。

その言葉をかけられたときに、「ありがとう。でもわたしは大丈夫」だと、それを本人たちに伝えたり、SNSで表現することをしなかったとしても、自分の中できちんとそう思うべきだった。

「わたしは大丈夫だから。被害に遭われた方のことを第一に思ってください」と。

それなのに彼らが伝えてくれる思いに甘えて涙してさらに好きになって。

きっとそういうことが、増田さんの言動と謝罪にわずかでもつながってしまったのではないかと考えている。

 

わたしはそのことがあった広島公演には入ってなくて、そしてレポでもその言葉を見ていない。

あれだけレポを漁っていたのにそんなことあるのかわからないけど、本当に見た記憶がない。

たぶん配慮してその言葉を入れずにレポしてくれた人が多かったのではないかと思う、けど結局のところは誰かのレポから広まって問題となり謝罪につながったんだと思うから、わたしが見たか見てないかなんて些末なことではあるけど、でも自分の考えをまとめるうえでは事実を自分の目で見てないことにはすごく頼りない思いもある。

そしてこうしてとりとめのない自分の今の思いを、誰かの目に触れるところで書き残すことの意味もわからない。

もし誰かがこのことで絶望していて、このことをちやさんはどう思うのかと、もしかしてわたしの気持ちや考えの中に救いを見出そうとしてくれる人がいたりしたとしても、そんな期待に応えられるともとうてい思えない。

ただ、何もかもわからなくてぐちゃぐちゃで惨めだった自分だけど、今はほんのわずかだけ思考が進んだような気がしているから書いている、それだけでしかない。

逃げてるわけでもなくて受け入れられないわけでもなくて、ただただずっとぐちゃぐちゃで、でもほんの少しだけ自分が今立っている道がどこなのかが、ほんのわずか見えてきたような、その先がどこに続いているのかはまだぜんぜんわからないけれど。まだまだ霧の中だし中途半端で。それをさらけ出すことの意味もわからないままだけど。

 

ただ、考えることも思いを巡らせることも、こうして言葉にして残してなくていずれ忘れてしまったとしても、それは自分の中にはちゃんと残るんだなということは、この間に実感したことのひとつでもある。

ならばなおさら、こうして文章にすることの意味はなくなるわけだけど。

衝動、というのが1番ふさわしいのかもしれない。