信仰と祈り
「生きろ」プラチナディスク認定おめでとうございます!
出荷枚数25万枚を越えると認定されるとのこと、初めて知りました。
わたしがファンになってから初めてのことだから。
「生きろ」はゼロ一獲千金ゲームの主題歌だったので、ファン以外にもドラマ見てくれた方や原作ファンの方が買ってくれたのかもしれないと思うと、やっぱりドラマ主題歌の強さをひしひしと感じます。
主題歌発表された時には安定の発売未定だったことなんて忘れてしまうほど、ドラマはもちろん、音楽番組や味スタやドリフェスで、この曲を聴く機会がたくさんあったことがとても嬉しい。
そしてドラマ主題歌という武器以上に、この曲が強いメッセージ性を持っていて、さらにそれを歌うNEWSの、魂の叫びのような力強い歌声に心揺さぶられた人は多かったのではないかと思います。
NEWSはいつだって歌に魂を込めている。
わたしは4人以前のNEWSを知らないけれど、少なくともわたしがファンになってからの彼らはいつも歌に気持ちをこめ、時には感情を爆発させるように歌っていた。
わたしはいつだってその歌声に心を揺さぶられてきたし、それがアイドルやジャニーズに興味がなかったわたしの心をつかんで離さない理由だと思う。
そんなNEWSへの気持ちが揺らいだのは、今年の6月。あの騒動のときだ。
どんなことがあってもNEWSを好きなことに変わりはない。
ずっとそう思い続けてきたのに、揺らいでしまったことが自分でもショックだった。
ファンになって3年目のわたしは、これまでのNEWSに起こったいろいろなことを情報としてしか知らなくて、初めて内側にいる人間として危機を経験することになった。
その渦中には今まで自分が信じてきた絶対的なものが揺らいでしまい、気持ちをどこにどう向けていいのか分からなくなっていた。
外からの攻撃に対してなら、いくらでも怒りで立ち向かうことができた。
でも自分が信じてきたひとたちの言動にその原因の一端があることが、わたしの気持ちをさまよわせていた。
担当であるとかないとかは少なくてもわたしには関係なくて、増田さんがそんな状況のなかでもNEWSをまったくあきらめてなくて、信じきっていて、愛していることはしっかりと伝わっていたけれど、それをわたしがNEWSをあきらめず、信じて、愛することの理由にしてはいけないと思った。
わたしは、わたし自身でこれからを判断しなければならない。
そう決めてはみたものの、実際は毎日気持ちが揺らぎ、増田さんを好きだと思う気持ちだけは確固として変わらずにいたけれど、NEWSを、グループとしてこれからも変わらず好きでいられるのかは、自分でもわからないままだった。
しばらく時間を置いても自分の気持ちにちゃんとした答えが出ることはなく、判断は保留のまま、流れに身を任せるしかなかった。
いつものような販促活動がほぼ無いなかで、それでもニューシングルのBLUEが予定どおり発売された。
NEWSの、4人の歌声。
今までずっと聴いてきたその歌声は、今までと変わらず胸に響いた。
やっぱりわたしはNEWSの歌が好きだ。
素直にそう思うことができた。
NEWSで離れかけた気持ちを取り戻させてくれたのは、NEWS自身だった。
少なくてもわたしにとっては、NEWSはすでに人生だった。
捨て去ることも忘れ去ることもできないうちに、その歌声はわたしの心の奥底まで流れ込んできて、癒し、再び愛と希望を与えてくれた。
NEWSの歌には力がある。
そう思うのはわたしがNEWSの盲目的なファンだからなのだろうか。
「生きろ」の通常盤のカップリングに入っているLVE。
歌詞カードを見たときにまず「信仰」という言葉が目に飛びこんできてドキッとした。
『信仰がなくては悪意に勝つことはできない』
この言葉はアイドルが歌う曲として、あまりにも強い意味を持ちすぎるような気がする。
以前からNEWSファンは宗教的と揶揄されることが多い。
きっとそれは盲目的と同じような意味で使われているのだろうと思う。
自分の頭で考えることをせず、ただひたすら与えられるものを素晴らしいと褒め称える。
外からの批判には耳を貸さない。
自分たちだけの世界で、自分たちにしかわからない楽しみを享受している。
そんなイメージだろうか。
外からに対してだけではなく、NEWSファンのなかでもそういうことがある。
ファンになったばかりの頃、「増田担は宗教」と他メンバー担が言っているのを見つけてショックを受けた。
その時も意味としては「増田のやることを神聖視して批判しない」ということだったと思う。
世間一般的に「宗教的」とは、悪い意味で使われる言葉なんだと、その時に初めて認識した。
日本人の多くは生まれながらの信仰を持っていないので、宗教というとなんだか胡散臭いものに感じるのかもしれない。
でも世界では信仰を持っているのが普通で、逆に信仰を持たない日本人のほうが珍しいのではないだろうか。
信仰や宗教と言うものは本来、生きる指針であったりモラルであったり、人生において重要なことを教え導いてくれる存在なのではないかと思う。
宗教の成り立ちのことはよく知らないけれど、信仰の始まりはささやかな祈りだったのではないかと思うのだ。
そしてアイドルの始まりもまた、他者への祈りなのではないか。
誰かを元気づけたり、勇気を与えたりしたい。
つらいときにその心に寄り添って、未来を明るく照らしたい。
きっとそんな思いでアイドルたちは、アイドルとしての人生を歩んでいく。
だからアイドルを見ていると信仰のような気持ちになるのかもしれない。
心に響く歌を気持ちをこめて歌ってくれることが、どれほど聴く人を勇気づけてくれることか。
それは、歌にこめた祈りなのではないかと思うのだ。
誰かが誰かを思うこと。思いをこめて歌うこと。
息をするのも苦しいような生きづらいこの世の中で、アイドルが矢面に立ちながらも、懸命に歌い気持ちを届けようとしてくれることが、どれほど希望になることか。
全身全霊で伝えようと歌うその姿は、まばゆい光をまとい神々しく輝いている。
彼らはわたしの神様なのではないかと思う。
そして彼らがファンのために祈ってくれるのなら、わたしも彼らのために祈りたい。
4人が幸せでありますように。たくさんのひとに愛されますように。ひとつでも多くの夢が叶いますように。
それが、わたしの信仰なのかもしれない。
愛がなければ生きていけない
希望がなくては前に進めない。
たとえ憎悪と紙一重であったとしても、やはり愛を信じてしまうし、希望を求めてしまう。
NEWSとファンの強い結びつきは、確かに宗教的なのかもしれない。
でもLVEを聴いてわたしは、彼らがそんな自分たちを肯定したのだと感じた。
自分たち自身と、そしてファンのあり方を。
「信仰」という言葉をマイナスのとらえ方ではなく、愛と希望の象徴としての言葉にしたのだと思えた。
さっき彼らはわたしの神様なのではないかと書いたが、実際のNEWSは泥臭く必死に生きているようで、そんなところはとても人間的だ。
もがき苦しみながら懸命に前へと進もうとする4人の姿は、本当はキラキラとしたイメージをまとっていなければならないアイドルにはふさわしくないのかもしれない。
それでも、どんなに泥臭くても、顔をゆがませ声を振りしぼりながら、必死に気持ちをこめて歌う姿に心動かされずにはいられない。
しんどい日常に寄り添って、ともに苦しみともに喜び、そして生きる道筋を暖かな光で照らしてくれる。
わたしにとってNEWSはそんな存在で、だからこそとても愛おしい。
ひとが祈るのは、そこに愛があるからだと思う。
自分のためでも他人のためでも、そこに愛する誰かがいるから祈る。
NEWSやファンが宗教的だとしても、それだけ双方に想い合う気持ちが強いのだと思えば、それはむしろ愛にあふれた素晴らしい関係なのではないか。
祈りは愛に満ちている。
彼らにたくさんの喜びと幸せを与えてもらって、それでもわたしが返せることなんてほとんど何もない。
だからささやかだけれど毎日祈っている。
あなたたちがいつも、そしていつまでも、幸せでありますように。