Everything's beautiful

辺境の地で愛を叫ぶ

今思ってること。だけどやっぱり全部じゃない

ここに書くことは今の時点でのわたしの感情とまとまりのない思考であって、ほかの誰かの考えや思いを否定するものではないことをご理解ください。

突拍子もない思いかもしれなくて、受け入れられなくてもそれが普通だとも思ってます。

 

 

今なんとコメントしていいのか、そもそもコメントするべきなのかしない方がいいのかもわからないけど。

増田くんのことが大好きです。傷ついてほしくないし絶対幸せでいてほしい。そのためだったらなんだってしたい。

増田くんはわたしにとってかけがえのない大切な人だし守りたくて、でもそういう、増田くんを好きな自分の気持ちと、この社会に生きている一員としての責任が矛盾してしまうなら、わたしはどうしたらいいんだろうということをずっと考えています。こうして増田くんが読むであろうことをわかった上で、伝わる可能性が高いこの場所を使ってコメントすることが正解なのかどうか、さらに心の負担を増やしてしまうだけではないのか、自分自身の中での結論が出ないまま書いてしまっていること本当にごめんなさい。

増田くんはわたしにとって本当にすごい人だし尊敬しかありません。でもそれは増田くんのことを神様のように崇めているわけではなく、増田くんがたぶん自身の至らないところをちゃんと自覚し、自戒したうえで、アイドルとして完璧であろうとしてくれるからだと思っています。どんなに優れた人であっても完璧な人なんていないし、完璧じゃないからこそ、そうあろうとすることが尊いんだと思ってます。とても人間ぽくて、そういう増田くんのことが愛おしいです。わたし自身葛藤だらけだし至らないところだらけで、でも増田くんを好きでいるおかげでいろんな感情を教えてもらい、いろんなことを思い、そのおかげで人として成熟させてもらってきたと思ってます。

増田くんには自分の気持ちを1番大切にして守ってほしい。もしファンにできることがあるなら、その責任の一端を担わせてほしいとも思っています。そんなこと増田くんが望むことはないと知っていても、そう思っていることを伝えさせてください。

まとまりがないままでごめんなさい。これからもずっとずっと大好きです。

 

 

 

4日前、報道はあったけどまだ増田貴久の〇〇で謝罪文が出る前の、増田さんのインスタへのわたしのコメント。

この時も書いてるけど今でもこれを書いたことが正解かどうかわからない。

コメント全部読んでるとは言ってたけどこういう状況でも読んでるかはわからないしそもそも投稿ゼロ、フォロワーゼロのアカウントからのコメントが増田さんの目に触れるところに表示されるのか?されてないんじゃないかと思いながらこれまでも毎回の投稿に必ずコメントするようにはしていた。

単に数字としてコメント1が増えればそれでよかった。

この時も増田さんにだけは伝わってほしいのか、それとも読んでほしくないのかもわからないまま、ただ衝動で書いたコメントに今回、ほんのわずかだけど数人からいいねがついていて怖くなった。

ここで書いてることは全部本当に思ったことではあるけど、でもわたしが思ってることのほんの一部でしかないこともたしかで、それが増田さん以外の誰かの目に触れてその感情に何らか影響してしまうことが怖かった。

そもそもSNSは自分の思いを表現する場であると思っていて、それなら自分のアカウントですればよかったものを、増田さんのインスタへのコメントを自分の表現の場として使ってしまったことへの罪悪感もあった。

今でも怖い。でも消せない。

どうしたらいいのか。

ぐるぐるぐるぐる。

ぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

わたし自身が誰の意見も感情も自分の中に入れたくなくて、そして何か自分の思ってることを発信してそれが誰かにわずかでも影響してしまうことも嫌でXからも離れてた。

できるだけ事実を自分で集め、本人や公式からの発信だけを元にして、誰かの感情に左右されることなく自分の気持ちだけを見つめたかった。

 

昨日、少しだけ戻って一部の人のツイートを見てみたけれど、どれもすごくわかるし、でもどれも一部でしかなかった。

それだけではぜんぜんたりなかった。全部が本当にその通りだし、でもそういういろんな意見もいろんな気持ちも他の人のそれを全部集めたとしても、自分の思考も感情もそれだけでは補完されなくて、それは自分自身で見つけていくしかないことだと痛感した。

苦しいけど、それはこの問題に限らず自分にずっと問うていたことでもあって。

ツイート(ポスト)は自分の思っていることの表現であるのに、自分が思ったり考えていることのほんの一部しか表現できていないこと、そしてその思考のうちの何を言葉として残すのかの取捨選択がわたしはめちゃくちゃ下手で、いつも悩んでるし、その下手な取捨選択の末のツイートに何の意味があるんだろうということをもうずっとずっと考えていた。

 

今回は自分の思いをできるだけ全部書こうと思っている。

取捨選択しないので文章としては破綻してるかもしれないけど。

 

 

 

 

 

増田さんの謝罪文を見てめちゃくちゃになってしまった。頭かきむしりながらのたうちまわった。

謝罪してほしくなかったとか増田さんは何も悪くないなんてことは微塵も思わない。

ただただそこにある現実が受け止められなかった。

こんな日が来ることをまるで想像していなかった。

たとえば、もしいつかNEWSが解散したりだとか、増田さんに熱愛とか結婚とかそういうことがあったとしても、増田さんが自身の言動のことで謝罪する未来があるなんてことは思いもしなかった。しかも大好きな、大切なコンサートという場でのことで。

それだけ増田貴久という人を、人として信頼していた。

年齢的には増田さんよりもずっと上だけどいつまでも人としてたりないところだらけの自分、未熟すぎる自分にとって、増田さんの仕事への向き合い方や真摯で誠実な生き方、アイドルとして生きるうえでの自分の律し方、周りにいるたくさんの方への感謝や愛を忘れないところ、それを素直な言葉でいつも伝え続けてくれるところ。

すべてが模範だった。

人生でここまですごい人に会ったことがないというくらいに。

だからその増田さんが、自身の言動において謝罪しなければならないような事態になることは夢にも思ってなかった。

増田さんの謝罪文をいくら読んでも頭に入ってこなくて、夢を見てるようにしか思えなかった。もちろん悪夢。

痛くて痛くてたまらなくて、でもすでに書いたけど謝罪してほしくなかったわけではぜんぜんなくて、むしろ絶対に必要であったこともわかってて、でもなんでこうなってしまったんだろうということが本当にわからなかった。

何がいけなかったのかなんて、どこから遡ったって辿り着くことはきっとできない。

たぶんこの今わたしたちが生きている社会の成り立ちからその要素の一部は始まっていたんだとも思う。

そして増田さんよりも少しだけ長く生きている者として、そういう社会を作ってきてしまった自分にも責任があるんだということも思った。

 

ただし、そういう責任が自分にもあると思うことで、自分の気持ちを救いたいという思いもわたしの中にあるのかもしれなくて。

増田さんだけが悪いと思うことがあまりにもいたくて苦しいから、自分にもその責任を負わせてほしいと願っているんだとしたら。それがいいことだとはとても思えなくて。

でもだからと言ってどうしたらいいのかもわからない。

ぐるぐるぐるぐる。

ぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

 

 

結局ちょっとだけ見えたことは、自分はあまりにも未熟だったなということ。

これまでもわかっていたはずだけど(だからコメントにも書いたんだけど)増田さんを好きになりNEWSのファンになったことでいろんなことを経験させてもらい、いろんなことを思い、それが自分を人として成熟させてもらってきたと思っていた。

けれどそもそも以前の自分が未熟すぎた、だからこの数年で少しだけ内面が成長したんだとしても、それではまだぜんぜん人としてたりなかった。

未熟ゆえに、増田さんが大好きだという思いを自分の中で大切にしすぎていたんだと思う。

だからそもそものこの事務所に関わる問題に直面した時に、何よりも大好きな増田さんとNEWSを守りたいと思ってしまった。

傷ついてほしくなかったし、その愛も感謝も思いも誇りもアイデンティティも、増田さんがこれまで大切にしてきたものはすべて守られてほしかった。

性被害に遭われた方のことよりも、増田さんを守りたいという気持ちを自分の中で優先してしまっていた。

もちろん被害に遭われた方の苦しみや怒りにまったく無関心だったわけではない。

すみやかに補償がおこなわれることはわたしにとっても最大の望みだったし、そしてそれが行われたとしても心の傷はこのあともきっと生涯にわたって残るであろうこと、それだけ性被害ということは深く暗く人生に影を落とすであろうことは想像に難くなくて、でもどうか今後の人生が少しでも心穏やかに過ごせるものでありますようにと、、、

 

こうして言葉にしてみるとなんておこがましい感情だろうか。

結局わたしは被害に遭われた方の苦しみを自分ごととしてまったくとらえていなかった。

もっともっと痛くなるべきだった。増田さんの心の傷に思いを馳せるよりもっと前に、もっと最大限に被害者の方たちのことを思うべきだった。

それはこの問題に限ったことではなく、これまで生きてきた中で、たくさんの事件や事故や災害の報道に接していながら、その時は胸を痛めたとしても、それをもっともっと自分ごととして捉え、何か自分にできることはないのかと考えたりもっと自分ごととして苦しんだりしてこなかった。この世の中で苦しむ人がひとりでも減るために、ほんのわずかであったとしても自分にできることを考えて、たとえ具体的な行動まではできなかったとしても、もっと自分に置き換え自分の痛みとしてそれを受け入れて考えるべきだった。

聖人君子ではないのだからそんなことできるわけないとはなから決めつけていた。

できるわけなくても、やるべきだったんだと思う。

それをしてこなかったツケが、今のこの社会の問題になり、最愛の自担を傷つけ、自分も苦しむことになっているのではないかと。今はそんなふうに思っている。

知らない土地の知らない方の苦しみまでも全部受け止めることはできなくても、せめてこの問題がつまびらかになった時に、被害に遭われた方の苦しみをもっと自分ごととして受け止めなければいけなかったんだということ。

それがどれだけ苦しくても、たぶん今よりはマシだった。

それで何も変わらなかったとしても。

もっともっと人として強くいなければならなかった。

わたしは自分の弱さに甘えていたんだと思う。

それを痛感したからこそこんなにも今痛い。

 

 

 

 

NEWSがツアーでファンにかけてくれた言葉、俺たちは何も変わらないから!これからもNEWSは続いていくから!安心してついてきてね!という言葉に、どれだけ救われたかわからない。

それはアイドルとしてステージに立つ彼らが、応援したい、支えたいという思いを持ってコンサートに来てくれる観客に向かっていう言葉としてこれ以上ないものだったと思う。

みずからのアイデンティティや、これまで立っていた場所を土台から覆されるような思いの中でこの言葉を言えるのは、彼らが培ってきたものがたしかなものであり、人として成熟してきた証でもあると心から思っている。

だからファンもつらい思いをしていることを理解してくれて、その心に寄り添ってくれることに甘えてしまっていた。

その言葉に心を救われ支えてもらってしまった自分はあまりにも未熟だったと思う。

ファンである前に、もっともっと人として強くあるべきだった。

その言葉をかけられたときに、「ありがとう。でもわたしは大丈夫」だと、それを本人たちに伝えたり、SNSで表現することをしなかったとしても、自分の中できちんとそう思うべきだった。

「わたしは大丈夫だから。被害に遭われた方のことを第一に思ってください」と。

それなのに彼らが伝えてくれる思いに甘えて涙してさらに好きになって。

きっとそういうことが、増田さんの言動と謝罪にわずかでもつながってしまったのではないかと考えている。

 

わたしはそのことがあった広島公演には入ってなくて、そしてレポでもその言葉を見ていない。

あれだけレポを漁っていたのにそんなことあるのかわからないけど、本当に見た記憶がない。

たぶん配慮してその言葉を入れずにレポしてくれた人が多かったのではないかと思う、けど結局のところは誰かのレポから広まって問題となり謝罪につながったんだと思うから、わたしが見たか見てないかなんて些末なことではあるけど、でも自分の考えをまとめるうえでは事実を自分の目で見てないことにはすごく頼りない思いもある。

そしてこうしてとりとめのない自分の今の思いを、誰かの目に触れるところで書き残すことの意味もわからない。

もし誰かがこのことで絶望していて、このことをちやさんはどう思うのかと、もしかしてわたしの気持ちや考えの中に救いを見出そうとしてくれる人がいたりしたとしても、そんな期待に応えられるともとうてい思えない。

ただ、何もかもわからなくてぐちゃぐちゃで惨めだった自分だけど、今はほんのわずかだけ思考が進んだような気がしているから書いている、それだけでしかない。

逃げてるわけでもなくて受け入れられないわけでもなくて、ただただずっとぐちゃぐちゃで、でもほんの少しだけ自分が今立っている道がどこなのかが、ほんのわずか見えてきたような、その先がどこに続いているのかはまだぜんぜんわからないけれど。まだまだ霧の中だし中途半端で。それをさらけ出すことの意味もわからないままだけど。

 

ただ、考えることも思いを巡らせることも、こうして言葉にして残してなくていずれ忘れてしまったとしても、それは自分の中にはちゃんと残るんだなということは、この間に実感したことのひとつでもある。

ならばなおさら、こうして文章にすることの意味はなくなるわけだけど。

衝動、というのが1番ふさわしいのかもしれない。

 

 

増田さん誕生日に寄せて。増田さんとの8年を振り返ってみた(あとMUSIC DAY)

この前のTHE MUSIC DAY、増田さんは「ロングトーンをどこまで伸ばせるか?」という企画に挑んでいた。

結果はチャンカパーナ10秒、 LOSER16秒で、MCの櫻井くんも水トちゃんもその長さに驚いていた様子だったけれど、本人としては納得いくものではなかったらしい。

翌日に更新されたジャニーズwebで「楽屋ではもっと出来たのに」「本番では思ったより出来なかった」「本当はもっと伸ばせるもん」(←かわいすぎか??)と、そんなふうにちょっとおちゃらけて綴った行間から、悔しさが滲み出てるようで、少しだけ胸がキュッとなった。

 

大型音楽特番でグループとして歌を生放送で披露できる機会は年に数回しかなくて、そこでロングトーンを伸ばすチャレンジの企画は歌やパフォーマンスをしっかり見せるのとはちょっとズレている気もしないではなかったけれど、増田さんはきっと自分が歌の企画で求められたことがたぶんすごく嬉しかっただろうし、それに全力で挑んで、そして思ったより出来なかったことでちょっとだけ悔しい思いもしたりしたのかなと思うと、そのすべてが愛おしかった。

なによりも増田さんのロングトーンがひとつの企画としてフィーチャーされるのは、それだけ知ってもらえて認めてもらえている証でもあって、それもすごく嬉しかったし、歌の表現力を着実に伸ばしてきた成果だと思うと胸が熱くなる。

 

わたしは増田さんのファンになって先月で8年経った。

なぜか今年は「もう8年経ったんだな」と事あるごとに思うことが多かった。

10年という区切りならわかるけど、まだ8年なのに、もう8年か、という思いがとても強い。

増田さんの歌を聴いて、心を撃ち抜かれたあの瞬間のことはいまだに忘れられないし、そこから転がり落ちるようにファンになって8年。

ダンスに魅了され、バラエティーでの活躍も、役者として見せる様々な表情にも、いつも心を惹きつけられてきた。

でもわたしの心の中心にはあるのはいつも増田さんの"歌"だったように思う。

THE MUSIC DAYシャッフルメドレーでの「空と君のあいだに」

うまいなんていうものではなかった。ほんの一節の歌で、たくさんの人の心を震わせた。

わたしがあの時歌で撃ち抜かれたように、きっとこの歌で増田さんに転がり落ちたファンも誕生したと思う。

8年前から、いやもっともっと前からもちろん増田さんの歌はすごくうまかったけれど、わたしが見てきたこの8年でも増田さんの歌はさらに進化し、声量がすごく増したし表現力も格段に上がっているように思う。

特にわたしが変化を感じるのは"がなり"というのだろうか、喉を鳴らして歌う歌い方で、これはたぶんトップガンのラップの時くらいから顕著に出すようになった気がしている。

増田さんの持つ伸びやかで明るい歌声はそれはもう魅力的で、それをがなりで一変させる表現力まで身につけた増田さんの歌には、何度だって心狂わされてしまう。

 

8年という年月は、歌だけでなく増田さん自身も緩やかに変化させてきたし、グループ自体にも幾度めかの変化があったし、わたしの感情も変化してきた。

いろんなことがあったけれど目に見える外的なものだけでなく、自分自身の中の変化に戸惑いが生まれ、これまでと同じようにまっすぐに増田さんを大好きで応援していけるのかと不安に思うことも増えた。

いろんなことを感じたり思ったりしすぎてしまって、いつも混沌としている自分に苦しくなる。

でも増田さんの歌を聴くと、何かを考えたり今自分が何を感じているかを自覚する間もなく、心に沁み込んでくる歌に涙が溢れてしまう。

そんなことが何度もあった。

増田さんの歌が好きという気持ちがずっと心の芯にあったからここまで来れたんだなぁと思う。

増田さんの歌が、その声で表現するすべてが、わたしをここまで導いてくれたし、心震えるほどのたくさんのすごい景色を見せてくれた。

 

増田さん、誕生日おめでとう。

歌い続けてくれてありがとう。

たくさんの人のたくさんの感情を引き受けて、強く優しく眩しく、ステージに立ち続けてくれてありがとう。

NEWSとして、増田貴久として、ステージに立ち、歌い続けるあなたをこれからもずっと見ていたい。

37歳の増田さんも、きっと今よりももっとずっと。大好きです。

当たり前にそこにあるということ

110日に放送されたBS-TBSX年後の関係者たち」は吉田カバンの回だった。

そこに立ち合い人として登場したのは、PORTERを愛してやまない我らが増田さん。

 

 

全身PORTERのコラボアイテムを身につけてきたその姿にも、中学生の時に初めて買ったという自身がハマるきっかけとなったタンカーを持参して見せてくれるところにも、10年近く前に手に入れてからずっと愛用しているビッグサイズのタンカーが、缶バッジやスタッズのカバーなどでオリジナルにカスタムされてるとこにも、その偏愛っぷりが表れていてとても愛おしい。

吉田カバンの方たちや職人さんのお話を聞く真剣な眼差しにも、「縫い目で飲める」と目をキラキラさせるところにも、わたしはそんな増田さんを見ながら飲めると思ったし、もっとこの人に酔いしれていたいと思った。

 

好きな人が好きなものに夢中になっている姿に、なんでこんなにも胸を打たれるんだろう。

 

装苑でもminaでも、自分の大好きなものについて語る増田さんに、わたしはいつもいつも心を撃ち抜かれ続けている。

 

そして「丁寧に使っているから味が出ていない」と言うそのセージグリーンのタンカーがアップで映し出されたその隅っこに、ほんのわずか、かすれた跡を見つけて思わず涙したくらいに、わたしの増田さんへの偏愛は重くて、そんな自分が増田さんのモノへの偏愛ぶりを見せてもらえたことで、「何かを愛する気持ち」という共通点で繋がれたような、そんな気持ちになれただけでこの番組に増田さんが呼んでもらえたことに感謝しかない。

 

ここまででもうじゅうぶんにわたしの感情は溢れてしまっていたんだけど、さらに番組の締め、MCカズレーザーさんにコメントを求められた増田さんの言葉が、わたしには刺さりまくってしまった。そしてそこから思うことを残しておきたくて久しぶりにこんなブログを書いている。

 

 

以下2人のそのやり取りから

 

 

カズさん「増田さんはユーザーとしてどんなチャレンジを吉田カバンさんにしてほしい?」

 

増田さん『いや僕は、変わらずなんか、ずーっと当たり前に、勝手になんですけど当たり前にあるものだと思っちゃってるので、ずっとほんとに、変わらずいてほしいなって』

 

カズさん「当たり前にあるってすごいですよね」

 

増田さん『変わらない中での進化っていうのはもちろんたくさんされてるんでしょうけど、僕らは自然と変わってないものとして認識できる、いつもある存在っていう安心感ですかね』

 

カズさん「これが当たり前で本当に変わってなかったらたぶん飽きちゃうんですよね。変わってるからこそ当たり前に思える」

 

 

増田さんって本当に身の回りにある物を大事にしてるし、自分が愛して大切にしている物が、当たり前にそこにあることで、日々気持ちが救われたりモチベーションになったりもしていて、大きく捉えればそういう物への意識や愛着から、増田貴久という人が作られているんだとも思えるし、そしてその意識がNEWSとしての在り方に繋がってるのかなとも思う。

 

『当たり前のようにNEWS増田でいたい』

前に雑誌で語ってた言葉もだし、ラジオやwebでもことあるごとに「ずっといるじゃん」と伝え続けてくれてることもだし、自分の愛する物たちが当たり前にいつもそこにあることで増田さん自身が救われているように、NEWSを愛してくれてる人たちにとって、NEWSはいつでも当たり前にそこにある、そんな存在でいたいんだろうなっていうのをすごく感じた。

そしてそのためには進化をし続けないといけないことを、きっと誰よりも身に染みてわかっているであろうことも。

 

 

アイドルという仕事ってどうしても期間限定というか、推してる側としてはいつか終わりが来るということを意識せざるを得ない部分はどうしてもある。

特にNEWSはこれまでもたくさん形が変わってきて、いつ終わってもおかしくないような状況もたくさんあった中で、常にそういう意識が付き纏ってるようなところがあって。

でも3人になってやっと今ここから、活動も安定から成熟へと向かっていけそうな状態になれていることを思うと本当にうれしい反面、今の形からこれ以上メンバーが減ってさらに続くということはもう絶対になくて、ということはNEWSという形がどういう終わり方になるのか、ということをどうしても意識せざるを得なくなる。

今どれだけ好きでいても、いや好きであればあるほど、その熱が強ければ強いほど、終わりが来ることが怖くて悲しくて、だからどうしてもその心構えをしておきたくなってしまう。

 

ただわたしは3人になってからの増田さんが、NEWSに対しての愛を超えた執着と言ってもいいくらいの熱量で、NEWSに向き合い続けてるのを見続けてきて、「当たり前にNEWSを続ける」ために、あらゆる努力を惜しまない姿を見てきた中で、音楽ツアーで言っていたように、NEWSが20周年を超えたあとも、本気で60周年も120周年も目指そうとしているんだと思うようになった。

この人はたぶん本気で、自分の寿命が尽きるまでNEWSで居続けようとしているんだと。

 

いつか終わりが来るから今を全力で応援する、それがアイドルのファンとしてのあるべき姿なのかもしれないけど、わたしは増田さんがNEWSとして今までもこれからも、当たり前にそこに居続けようとしていることを確信して、「いつか終わりが来る」と思いながら応援するのは、増田さんに対してとても失礼なことかもしれないと、そう思うようになった。

だからわたしも愚直に一途に、NEWSがこれからもずっと続くと信じて愛していきたい。

こんな重い愛し方しかできなくてごめんっていつもずっと思いながら、それでもいつもわたしにたくさんの愛をくれる人への、それが自分なりの愛の返し方なんです。

24年

この前何かを検索しようとして「増田貴久」と打ち込んだらサジェストに「嫌い」と出てきてめちゃくちゃに傷ついた。

それ以上は見てないしサジェストが表示される仕組みもよく知らないしなぜそんな言葉が出てきたのかはわからないけど、たぶん最近出た番組でのクセ強発言の影響も少しあるのかなと思った。

 

歌うこと、演じること、書くこと、笑わせること。芸能の世界で何かを表現して生きることは誰かの感情を動かす仕事でもあり、だからこそ良い方にだけではなく負の方向に感情が動かされることも、心の中に生まれたマイナスな感情をそれを表現する人に向かわせてしまうこともそれはあるだろうと頭ではわかっている。

でもこんなにもカッコよくて性格も愛らしくて、歌もダンスもうまくて自分の仕事に自信とプライドを持ち、厳しい状況にあっても笑顔を忘れずすべての活動に真摯に向き合い、グループやメンバーやファンや周りの人たちへの愛にあふれ、置かれてる環境への感謝を忘れない、ファンにとってのパーフェクトヒューマンであっても、誰かにとっては簡単に「嫌い」という感情を持たれたり、時には心無い言葉を投げつけられたりもするような、そういう世界に生きてる人なんだよな、と思うとやっぱりそのことに傷ついてしまう。

芸能人というだけで色眼鏡で見られることはきっと誰にでもあるんだろうけど、こと「ジャニーズ事務所所属」となるとその偏見がより一層ひどくなることは想像に難くない。

そんな中で続けてきた24年にはどれだけの傷や痛みがあったんだろうとどうしても思ってしまうけど、それでも誰よりもジャニーズを愛し、NEWSを愛することにまっすぐで、何にも傷ついたことなんかないようなキラキラした笑顔で、今もステージに立ち続けてることは驚異的なことだとすら思ってしまう。

 

思うことも感じることもその人の自由には違いないけれど、それがあまりにも簡単に可視化されてしまう今、嫌悪を感じる人やものに対して、よく知りもしないままに自分が感じたものが正義とばかりに発信する人が増えた中で、アイドルという職業を続けていくのはさらに困難さを増している気がする。

そんな変化の激しい時代の中で、現状維持を目標に掲げ、そしてそのためには進化を続けなければ生き残っていけないことをきっと誰よりもわかっている増田さん。

いろんなことがある今だから、そんな増田さんを見ていて、当たり前のようにこれからも続けていくんだろうな、きっと50歳になっても60歳になっても3人で歌ってるのかもと思わせてもらえることがどれだけ幸せなことかと実感する。

 

どれだけ嘲笑されたとしても信念を貫くことも、愚直なまでに仕事に向き合うことも、それを続けてる増田さんの根底にある力ってなんなんだろうか。

ジャニーズへの愛、そこに所属してる誇り、NEWSを作ってくれたジャニーさんへの思い、一緒に歌い続けてくれてる小山さんとシゲへの思い、応援してくれるファンや支えてくれる周りの人たちへの感謝、そういうものに力をもらって、増田さんは自身の人生を、増田さんにしか進めない道を選び続けているのかなと思う。

 

わたしは自分の増田さんへの気持ちが愛なのか執着なのかもわからないし、迷ったり揺らいだり傷ついたりしてばかりで、だから増田さんの強さやまっすぐさがとてもまぶしい。

好きになるほどに自分の存在意義がわからなくなって苦しくなることも多いけれど、いつも強く優しくそこにいてくれて、ステージに立つ姿を見せてくれる増田さんがやっぱり大好きだなって思う。

 

増田さん、ジャニーズとして、NEWSとして、今を生きてくれてありがとう。

ジャニーズ事務所入所24周年、本当におめでとう。

「当たり前のように"NEWS増田としていられたら」そう語ってくれた言葉のように、いつまでもNEWSであり続ける増田さんを、わたしもこれからも変わらず応援していけたら幸せです。

「"NEWS"と"音楽"」インタビュー感想

「4人のNEWSがすごい好きだったから」

インタビューを初めて見た時シゲのこの言葉に思わず涙した。どういう涙なのかわからないけど「そうか」と思った。わたしも好きだったよ、4人のNEWS。きっとみんな好きだった、小山さんもまっすーも、そしてたぶんいなくなった彼も。

それに対して小山さんの返した言葉がすごくよかった。

「とっても成熟してきた9年だったよね」

わたしはこの9年のうちの5年しか見ていないから、知らないことも捉えきれてないこともたくさんあるとは思うけど、そのうえで4人の5年間と、3人の2年間を見てきた思いを、メンバーでありながらNEWSの1番のファンでもある小山さんの言葉に沿って残しておきたいと思った。

「とっても成熟してきた9年」があったからこそ、シゲは3人でやる意味を考えて迷い、まっすーは3人で続けることを即決したんだなと思うと真逆のシゲマスがとても愛おしい。

まっすーはNEWSが新体制となった当初から、「3人になっても何も変わらない」と言い続けていて、わたしは何も変わらないわけないのにすごいこと言うんだな、と、そんな強さが眩しくてさらにまた大好きになったんだけど。

でもまっすーは本気で"何も変わらない"と思ってたことをこのインタビューで思い知らされた。

「言い方悪いけど、そんなに大きいことだと思わなかった」

それは"強さ"というのとはまたちょっと違うというか、まっすーにとってはNEWSを続けていくことは音楽を続けていくことであり、ごく当たり前のことだったんだと。

「とっても成熟してきた9年」がまっすーにとって、迷いと混乱と戸惑いから始まったことはこれまでも何度も聞いてきたけど、4人でできることを考え、パフォーマンスを磨き、そして4人で届ける"歌"を歌い続けてきたこと、4人の思いが込められた歌を、それぞれの声質を生かした歌割りで最大限に引き出して歌い、それがたくさんの人に届いたことで、4人のNEWSを確立させてきたこと。まっすーにとっては、3人になってもやるべきことは何も変わらないという思いがあったのかなと思う。

「俺守るし」「俺いるし」まっすーの言葉からこれまでやってきた自信と自負をめちゃくちゃ感じたし、だからまっすーは何も迷わなかったんだろうなと思った。

デビューの時からそこにあった3人の声。今のNEWSがその3人で歌うことは、まっすーにとってごく自然で当たり前のことだった。

対して「なんのためにNEWSをやるのか」「(3人で)やる意味あんのかな」を考えてグレーだったシゲ。

ファンにとってみたら3人がNEWSを続けてくれること、そのことが1番大事で、そこに意味なんてなくてもよくて、でも「意味がなければ」と考えてしまうシゲのことがすごく理解できてしまうのは、わたしも自分が"ファンでいる意味"がわからなくなっていた時期があったから。

理解できるなんてめちゃくちゃおこがましいけど、でもやっぱりちょっとわかってしまう。

今ならファンであることに意味なんていらなくて、ただカッコいいから、好きだから応援する、それだけでファンだと胸を張ってもいいんだとわかるのに、どうしてもそう思えなくて苦しすぎて、もう降りたいと思ってた時があった。余談だけれど。

そんなシゲが「3人でやる意味は音楽」で、「3人でやる音楽面白そう」って思ってくれたことが素直にうれしい。シゲが「音楽」に3人でNEWSを続ける意味を見出してくれたこと、それが3人で歌ってきた歌になり今回のアルバムに繋がり、初めて3人で作るライブにもなっていくことを思うと、そういう流れというのか、思いの繋がりがあって今ここにNEWSがいることがより尊く愛おしく思える。今届けてくれる楽曲たちにもより思いが増していく。

https://youtu.be/k1uNIeu1Agw

わたしは4人のNEWSの歌がずっと大好きだったけど、3人になってからの方がもっと心揺さぶられることも、苦しくなるくらいに大好きだと思うことも増えて、それはまっすーの歌声がファンになったきっかけでありその声が大好きな自分にとって"まっすーの歌割りが増えたから"という理由が大きいような気がしてたけどそうじゃなかった。

「『こっちの方がいいじゃん』と思ってもらおう」さらっと言っていたけれど、そんな強い気持ちが芯にあったこと、そしてそう思える根拠はやっぱりこれまで積み上げてきたものへの自信だと思う。自分たちの音楽に真摯に向き合い真剣に取り組んできたからこそ、今3人で作る音楽や3人で歌うことを心から楽しんでいて、だから聴く人の心を震わせるし、こんなにもNEWSの歌が好きだと思わせてくれるんだと思う。

小山さんのインタビュー、すごくすごくよかったね。

メンバーだからこそ引き出せた感情、小山さんとシゲ、小山さんとまっすー、それぞれ真剣でありながらも和やかな雰囲気で、これまで一緒に過ごしてきた年月をとても感じて愛おしさがより増した。

綺麗に晴れ渡った空の下で、ケーキ食べるだなんだで文句言いつつ、穏やかに笑いながらフェードアウトしていくの最高だったよ。

ありがとう。これからもずっと大好き。

ここに辿りついたNEWS ~STORY感想~

お題「NEWS LIVE TOUR 2020 “STORY“ ー私のSTORY、私とSTORYー」


NEWS LIVE TOUR 2020 STORY

完遂おめでとうございます。


オーラスが終了してからすでに2週間以上、こんなにも遅くなってしまって今さら感が否めないのですが、これは2週間が経過してこれで本当に何事もなく無事に終了と言えるタイミングを待っていた、というわけではなく、今回はそもそもブログを書くのはやめようと思っていたから。

というよりか、とても書けないと思っていた。


紆余曲折を経たSTORY、そして5年をかけた4部作を見させてもらってきて、そこからもらったものも受け取った思いもあまりにも大きくて、わたしなんかの言葉ではとても表現できないという思い、シゲの言葉を借りるなら「感想を言葉にすると途端に矮小化されてしまう、陳腐になる」ことが怖くて、向き合うことを避けてしまっていた。

NEVERLANDからここに辿り着くまでにあったたくさんのこと、たくさんの思い、膨れ上がった自意識と自負、溢れ出る愛情と記憶に絡め取られる複雑な感情、そんなものを表現し尽くすことなんて絶対にできない、と思っていた。


それでもこんなタイミングであっても、たとえ矮小化されたものでも部分的だったとしても、わたしはわたしの言葉で残しておくことが自分のためでもあると信じて、自分を奮い立たせてなんとかこれを書いています。

先に言っておくけどまったくまとまりないです。



今回のツアーはコロナ禍という特殊な状況下で初めて観客を入れて行われた。

密を避けるために指定された入場時間、キャパも通常の約半数に制限され、客席も最初の会場では1席ずつ空けられていた。(その後の会場からはグループごとに1席空けに変更されたため入れる人数も少し増えた模様)

それに加えて今までと違ったのは「声出し禁止」。

マスク着用は当然のことながら、その上で飛沫防止のために声を出しての応援はいっさい制限されていた。

NEWSのライブといえば「声出してナンボ、一緒に歌ってナンボ」とわたしが勝手に思っていたくらいにはC&Rで声を上げたり、ファンのパートが用意されている楽曲で一緒に歌うことがNEWSのライブの醍醐味であり、そうやってNEWSとファンが一緒に作り上げていく感じが大好きだったので、これはなかなかにキツい制限だった。

しかも今回はもともと「ファン参加型」「ファンと一緒に作り上げて完成する」と謳われたライブで、その最も重要な要素となるはずの「声」を封じられてしまったもどかしさは想像以上だった。

声が出せない代わりにペンライトを掲げたり振ったり、手が痛くなるほど力を込めて拍手を送ったりして、そうやってなんとかこちらの思いを伝えようと必死だった。

それでもそんなファンの"声なき声"は、ちゃんとNEWSに届いていたし受け止めてくれていたと思う。

特殊な状況下で交わされた声のないコミュニケーションは、普通に声を出せる状況とは違っていても、それはそれで心と心でしっかりと繋がっているという実感をもたらしてくれるものでもあった。

ライブの時いつもNEWSが感情を爆発させるように歌うU R not alone、そんな思いに応えたくて、こちらもいつも叫ぶように声を張り上げて歌ってきた。そんなファンの歌声をいつも、一緒に口ずさみ両手を広げ、それぞれ全身で受け止めるNEWSの姿が大好きだった。

そんなU R not aloneも今回は合唱のパートが音源で流れるなか、「ここにいるよ。歌っているよ」という思いを必死にペンライトを振ることでしか表現できなかった。

でもそんなファンの思いをNEWSはちゃんと受け取ってくれていたと思う。

増田さんがまるで「今ここに響いているよ」とでも言うように、声なきファンのパートで何度も自分の胸を拳で叩くその姿が、届いているという実感を与えてくれた。


Love Storyでのファンの「ララララ〜」の合唱。コンサートでファンが会場で歌ったそのパートがいつのまにか録音されて、それをCDにする時に音源化してしまうくらい、NEWSはファンの声、ファンの歌を愛してくれていたと思う。

横アリの2日目、ライブのMCで「昨日寝る前に初日のライブを全部頭の中で振り返ってみて、思いついたんだけどみんな口閉じたまま『ンー』ならイケんじゃないの?」って言いだした増田さん。

MCで声の反応がなくてウケてるのかスベってるのかわからない、という不安からなんだと思うけど、夜公演でもそれを言い出して、「俺らは推奨できないけど」って言う小山さんとシゲを押し切ってみんなで「ンー」ってやってみたら結局ものすごく微妙な空気になってしまって愛おしかったのだけれど。

それくらい、ファンの反応が知りたくてファンの声が聞きたかった増田さんに胸がギュッと締め付けられてしまった。

ライブでは自分たちの表現を観客に見てもらうのと同時に、ファンの反応や声が直接聞けることがNEWSにとっての喜びでもあったことは明白で、そんなライブなのにいつものように声が出せない状況はお互いにつらい部分は大きかったと思うけど、それによりいつもよりもさらにお互いの思いを敏感に感じとろうとしたことで、結果的にお互いを思い合う優しい空間にもなっていたような気がした。

Love Storyではいつもファンの歌にそっと下ハモで合わせてくれていた増田さん、そうやって一緒に声を合わせてひとつの作品になれるその瞬間をわたしはたまらなく愛していたのだけれど、今回は歌う代わりに手で振りを繰り返すように変更になっていたそのパートに、その都度両手を上げて拍手を送ってくれた増田さんに愛おしさが込み上げたし、アクションで伝えあえた喜びを知った。


いつもコンサートの最後に「僕たちの名前は?せーの!」で「NEWS!!!!!!!!」と叫ぶあの瞬間が大好きで、今回は声が出せない代わりにペンライトを掲げながら「届け!」と必死に願いながらNEWSの名前を心で叫んだその瞬間のシンとした無音に、これでもかという愛が感じられたこと。

声が出せなかったからこそ、忘れられない、心に刻まれた瞬間がいくつもあるコンサートでもあったと思う。


そんなツアーの最終盤に、スタッフさんが用意してくれたファンからのサプライズ。

NEWSへとやっと届けることができたファンの歌声と、それを聴いて泣いてしまう3人の姿は、わたしの好きな人たちがたくさんの人に愛されている証明でもあって、世界で一番温かくて優しい愛に包まれた光景だった。

そんな彼らの姿を見て自分も号泣しながらこれまで、大好きな彼らが悪意に晒されたり、心無い言葉を投げかけられることに対して、自分が思う以上にわたし自身が傷ついていたことに気づいて、だからこうしてNEWSがたくさんの人に愛されているという実感はわたしのこともすごく救ってくれた。サプライズを企画して実行してくれたスタッフさんには本当に感謝しかない。



オーラスが終わってから増田さんが更新してくれた「増田貴久の〇〇」で、STORYに関わってくれたみんなへの感謝が述べられていくなかで、最後にファンに向けて「みんなの声や歌、笑顔、歓声、姿、気持ち 全てが宝物です」と書いてくれてて、出せなかった声も歌も歓声も、ちゃんと届いていたんだなと思ったらうれしくてまた泣いてしまった。


ステージと客席の距離は、お互いに一番相手を思いやれる、優しく愛しあえる距離だと言う。

初日のクローバーで増田さんが泣いて歌えなくなった時に、本当はそんな距離を飛び越えてそばに行って寄り添いたかった。

手を握って抱きしめ、ずっとここにいるよ、大好きだよ、大丈夫だよって伝えたかった。

でもその距離を絶対に越えることは叶わない代わりに、増田さんのそばには一緒に泣いてくれる小山さんと、2人が泣いている時こそ自分は強くあろうとするシゲがいてくれるから、わたしも安心して自分の今いる場所から愛していけるんだとも思う。



もともとはNEVERLANDを作った時に「ちょうどNから始まるこのツアーを、NEWS4部作にして、2020年に完結したその時にNEWSがさらにステップアップできるように」という増田さんのアイデアが、たくさんの人のたくさんの思いを巻き込みながら育ち、やっと完結できたこと。

「一筋縄ではいかないプロジェクト」を、様々な困難な状況を乗り越えて完遂できたのは、NEWSの意志と、そのNEWSを近くで見守り支えた方たちの強い思いがあったからこそだと思う。

渡辺大輝くんはJr.のリーダーとしてずっとNEWSのツアーを支えてくれていたけれど、このオーラスを最後にジャニーズJr.を卒業し新たな道へと出発することが発表された。

コロナ禍でツアー自体がどうなるかわからない状況のなか、自身の将来を考えたタイミングよりも、STORYを完遂するまで卒業を待ってくれたこと、そして全21公演のSTORYを、初日の325日から毎回ずっと自身のSNSでカウントダウンしていていてくれたことを後に知り、こんなにもNEWSNEWSが作るSTORYを愛してくれていたことが嬉しくて涙が止まらなかった。

大輝くんだけでなく、ほかのJr.のみんなやスタッフさんやファンといった、NEWSを愛するみんなが支えてみんなでやり遂げたSTORYでもあったように思う。

声を出すことは叶わなくても結果的にSTORYが当初よりもさらに「みんなの思いを支えに、みんなで作り上げた」という感覚が強いライブとなったことも、何かの縁というか、運命じみたものを感じてしまう。


STORYのグッズのTシャツについての増田さんの思いつきを、シゲが形にしてみたら予想以上の出来栄えに「これはグッズだけじゃなくてライブの演出にも使える!」となり、それがSTORYの縦軸となった「4人の男の物語」へと繋がっていったわけだけれど、わたしはこの物語が4部作の歩みだけではなく、4人のNEWSが辿ってきた道そのものに思えてしまう瞬間が何度となくあって、「誰もが無謀だと言った」の部分で泣き崩れてしまったことがあった。

6人から4人になる時に、メンバーの周りはNEWSを続けることを「無理だ」と言う人の方が多かったという。

それでもその「誰もが無謀だと言った」言葉を見返すように、もう一度NEWSというものを確立するために、4人は力を合わせて一歩一歩進んできた。

しかしその後もその道のりは簡単ではなく「軌道に乗るかな〜と思えばストップ、乗るかな〜と思えばストップ、ずーっとやってますね」との増田さんの言葉どおりの繰り返しであったこと、それはファンとして見てきた年月がまだまだ少ないわたしにとってさえ、この間に何度も感じたことでもあった。

どれだけのもどかしい思いをしてきたことだろう。

「最近は4人のNEWSがようやく、皆さんに認めてもらえたんじゃないかなと」増田さんが感じていたタイミングでのメンバーの脱退は、この4部作を終えた時にさらに大きなグループへと一段上がれるように、との増田さんの願いを踏みにじってしまったのではないかと思うと苦しくて、それでもなお増田さんは「NEWSをトップグループにしたい」という野望を語ってくれ、何も諦めることなく進み続けてくれた。

ここにやっとSTORYを完遂し、4部作の完結を迎えられたことは、3人のNEWSにとって本当に大きなことだったと思う。


増田さんにとってのSTORYが「ずっとこの仕事を続けていきたい。NEWSで」という言葉で完結しているように、STORYは終わっても、増田さんと増田さんが愛するNEWSの旅は続いていく。より強く結ばれた愛と絆を武器に、新たな幕開けを迎えたNEWSは、これからも強く逞しくしたたかに、上へ上へと必ず昇って行けると信じている。

成長に必ずしも必要ない痛みだったとしても、その痛みを強さへと変えてきた彼らだから、きっとこれからもNEWSは走り続ける。

新たな物語を作っていくNEWSにこれからも寄り添っていけたら幸せだし、完成した地図を持って進むこの先には必ず最高の景色が待っている。



NEWSが作る未来をこれからも一緒に歩いていきたい」

4部作を終えた今の、これがわたしの夢です。




ハウ・トゥー・サクシード

「新たなミュージカルスターの誕生だ」

そう確信する舞台だった。

ミュージカルどころか舞台観劇経験のほぼないわたしが言ったところでなんの説得力もないけれど、ただの素人にも心からそう思わせる迫力は、間違いなく増田さん自身から出たものだった。

 

明るく響く伸びやかな歌声。

生き生きと軽やかに踊るダンス。

そして何より、誰よりも楽しそうに、増田さんはその舞台でフィンチを生きていた。

 

入所してからの芸能生活20年の中で積み重ねてきたもの。

言葉にすると簡単だけれど、その努力の凄まじさを存分に見せつけてきた。

この5年間ずっとファンとして追ってきて、毎日見てきたはずなのに、まだ知らない顔があったなんて。

歌も踊りも演技も、今まで培ったものの中から出ているはずなのに、そこにいたのは増田貴久ではなく完全にフィンチで、わたしがまったく知らない人としか思えなかった。

 

わたしは‪「Only You〜ぼくらのROMEO &JULIET〜‬」で初めて増田さんの舞台を観て、その歌唱力とダンスの凄まじさに圧倒されたから、ハウ・トゥー・サクシードでもその部分を楽しみにしていた気持ちがだいぶあったのが正直なところだけど、このミュージカルでわたしは、演技の部分でもっとも増田さんに圧倒されてしまった。

くるくると変わる表情、細部まで神経の行き届いた体の動き、早口のセリフ回しでフィンチというキャラクターをコミカルに演じ、何よりもそれを増田さん自身がめちゃくちゃに楽しんでいるのが伝わってくるから、客席までどっぷりとその世界に引き込まれてしまう。そんなものすごいパワーを見せつけてくる増田貴久の真の実力に、舞台を心から楽しみながらもずっと圧倒され続けていた。

 

 

わたしはソレダメの解決王子が大好きで、それはバラエティーやコンサートのMCといった場面ですぐボケて、そしてよくすべって場を凍りつかせてしまう増田さんとはまったく違って、すごくうまいしめちゃくちゃに面白いなと前から思っていた。

ボケるのは大好きだけど、間の取り方や瞬発力といったお笑いに必要な要素が増田さんに向いてないんだろうなと、(そういうバラエティでのポンコツキャラの部分も大好きなんだけど)それが解決王子では、ちょっとキザな言い回しやカッコつけた仕草が、コメディとしてちゃんと笑いになっていて、台本を与えられたうえで演じるとこんなにも面白くできる、喜劇役者としてすごい才能があるんだなと密かに思っていた。

それがハウ・トゥー・サクシードというミュージカルコメディの場を与えられて、生き生きと、それはそれは楽しそうに演じ、コメディの適正をめちゃくちゃに発揮してる姿を見て、やっぱりと膝を打つのと同時に、わたしが思っていた以上にこんなすごい才能を、とんでもないものをまだ隠し持っていたんだなと、舌を巻くしかなかった。

 

ハウ・トゥー・サクシードはこのコロナ禍での上演に際して、稽古から感染防止に最大限に気をつかい、出演者全員が何度も検査を受けるという厳しい状況の中でやってきた。

きっと春頃にはまだ、上演できるかどうかの判断は出来ず、どうなるかわからない状況が長く続いたことと思う。

実際に幕が上がるまでの稽古の期間、「絶対にやりきる」という強い意思と「しかし状況次第ではどうなるかわからない」という気持ちのせめぎ合いだったのではないかと勝手ながら思っていて、それでも増田さんは一貫して「公演に向けて稽古させていただけてることが幸せ」だと語っていた。

感染者を出さない、自分も絶対に感染することは許されないという状況で、座長としてのプレッシャーや責任の重さはどれほどだっただろう。

それでも表に見える部分では絶対にそんなことを感じさせず、レギュラー番組に加えてドラマの主役、24時間テレビと続いた激務の期間を、笑顔でやりきった増田さんのすごさには本当に圧倒されてしまう。

世間の厳しい状況に加え、グループにもいろいろとあり再出発をはからなければならないタイミングでもあり、でもそんな中で作りあげたこの舞台が、悲壮感や影の努力などまったく感じさせず、ただひたすらに面白くて楽しいミュージカルになっていたこと。増田さん自身がこの夢の舞台を心から楽しんでいたことが本当にうれしかった。

インタビューでこの話を初めて聞いた時に「楽しみ100、プレッシャー100、うれしさ100」の気持ちだったと語ったように、大変な状況の中でもきっと、プレッシャーよりも楽しさやうれしさの方がずっと上回っていたんだろうなと思う。

 

このコロナ禍の中で行うミュージカルには、出演者はもちろん、観に来られる観客それぞれも厳しい状況を経てきている中で、ひとときの楽しさと夢の時間を届けたいという思いが強くあったはずで、そこにはわたしなんかには想像もできない責任や重みを背負っていたに違いないのに、そんななかで見事にこのミュージカルをやりきり、自分の夢と、カンパニーのみなさんの夢と、観客の夢を叶えた増田さん。

カンパニーのみなさんと関係性を築くための食事を一緒に行くこともままならず、それでもみなさん口を揃えて「仲良し」「雰囲気がよくて大好き」と言ってくださっているその一座を座長として作りあげたのは、ひとえに増田さんの人柄によるものだと思う。

決して先頭に立って引っ張っていくタイプではないのに、その佇まいや雰囲気、ミュージカルに臨む姿勢でカンパニーを率いる増田さんは本当にめちゃくちゃにかっこよくて、どうしようもないくらい好きな気持ちがあふれてしまう。

 

表に出ている顔は優しくて穏やかで、でも実はその心の奥底には厳しい世界でここまでやってきた自負と、絶対にここだけは譲れないというこだわりと、これまでの経験すべてを糧にして、さらに上を目指すという貪欲さが垣間見えることもあって、コロナやメンバーの脱退やそういうマイナスにしか思えない経験も取り込み、自分自身を着々とレベルアップさせていっているのを感じると、この仕事への凄まじい情熱と野心に心から畏れを抱いてしまう。

 

ブロードウェイの名作ミュージカル、しかも名だたるミュージカル俳優たちに囲まれての主演を「ジャニーズの増田貴久頑張ります」と言いきったその言葉と、そして見事にそれをやり抜いた姿を見て、ジャニーズとして積み重ねてきた今までのすべてがこの作品に繋がっていき、さらにそれが「ジャニーズがどれだけできるのか」という思いで観にきたミュージカルファンの方たちにも絶賛されているのを見ると、ジャニーズとして、NEWSとしての増田貴久を何よりも大切にしてきた増田さんが、すべてを叶えていっているその姿が本当にまぶしい。

 

そして舞台上で本当に明るく伸び伸びと、生き生きと歌い踊り演じている、その夢をいままさに叶えている瞬間を見られたことは、増田さんのファンとしての自分にとっても本当に大きなことで、とても大切な時間になった。

だからこそ本当なら、こんな状況でなければ満員の客席を前にこの素晴らしい舞台を演じられたのに、その姿を見たくても今の状況でかなわなかったたくさんの方にも観てほしかったのに、という思いがどうしても消えない。

これからの増田貴久がここからさらに飛躍していくのは間違いないし、だからこそ増田さんを愛するたくさんのファンが、みんなが一緒にその夢を見られる世界がいずれ訪れることを心から願っている。